愛していますとお伝えください
夢の国に行きます。
見てくださいこの愛らしい顔。ダッフィー可愛い。それゆえに彼は大勢の人から愛されています。
それに比べて私はどうでしょう、愛されている?愛されていない。
人に興味をもたれることが少なく、もちろん愛されることだって少ない。だから私から愛を押しつけてみてもそれが返ってくることなどなくいつだって私は嫌われ者です。けれど誰かから愛されることを求め続けているのです。醜い。醜い、ああ醜い。
はやく死んじゃえばいいのに。
夢の国に行くにもいちいちこんなめんどくさいことを考えてるのって本当どうなんですかね。切り替えてちゃんと楽しむぞいえーいぴーすぴーす
尾崎世界観にすぐに感化される
クリープハイプ - 「エロ」MUSIC VIDEO - YouTube
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=167260
発売されてからやっと気づいたんですけど、これです、この曲が私の言うサイコーの夏を端的に表してる!
歌詞が素晴らしいんですよね、この曲。いかにもな夏の暑さと思い出の儚さを表現してると思うんです。
数日前twitterでカオナシさんが「2014年の夏を思い出すようなCDにして頂けたら幸いです」って言ってましたが、本当それです、夏っていう季節がこの曲に詰め込まれてて一度聞いたら自分の中にべったり夏の季節感が残るんです。きっとこの曲が2014年の夏に発売されたっていうのはもう忘れられないと思います。それくらい夏っていう季節は特別なんです。
CD買いたいけどなあ…金欠なんだよなあ…(クリープハイプにお金を落とすメンヘラの見本)
ステマ記事すいませんでした
私の数少ない友達の一人のこと。
さっき気がついたんですけどブログって本来日記的な位置づけでその日あったことを書いたりするのが一般的な使い方ですよね。
でも夏休みだから何もしてないから日記かけないんですよ✌✌でも2日に1回は書くって決めたしがんばってネタをひり出すと自分の過去のことばっかになっちゃうんですけどもう仕方ないですよね、よし仕方ない!
私もそんなに長く生きてないのでそこまで書く事がないんですけど幼稚園の頃のことでも書いてみようかと。
今でこそ歪みの塊みたいな私ですけど幼稚園の頃はとにかく気が弱くて守ってあげたいような(母談)幼稚園生だったそうです。結構その頃の記憶も残ってるんですがそれはもうくらーい幼稚園生でした。キラキラ系の友人は幼稚園の頃鼓笛隊の指揮をやってたそうです。そんな頃から差って生まれるんですね。
途中で転園してきたNちゃんと一番仲が良くていつも一緒にいました。というか正確にはいつも引っ張られていました。いつもいつも引っ張られることにうんざりして母親に愚痴ってたりしたような記憶もあるんですが最初に話すきっかけはなぜか私がNちゃんに手紙を書いたからだそうです。(しかも字が汚くて読めない)そんな記憶すっかり私は覚えてないんですが彼女は未だに覚えてくれてるそうです。
Nちゃんとの仲は小学生になっても続き、うんざりだなあと思いながら一緒にいたんですけどいつ頃からかNちゃんにもほかに仲の良い子ができたようで私のところに来ないことも増えて行きました。そのときに言い様のない寂しさを覚えて、やっぱりなんだかんだ彼女のことが好きだったんだろうなあと思います。
ちょうどその頃私は多くの子が行く地元ではない中学に行くことが決まりあっさり彼女とお別れしました。ちょうどいい潮時だったんじゃないかな、と今では感じます。
そんな彼女ともLINEをはじめてから再会し、今では元気に私の知らない人と下ネタを言い合っている彼女を見ると懐かしい思い出がたくさん私の中で溢れ出すのです。
今では見る影もない守ってあげたい幼稚園児ですが、当時母親は本当にそう思ってたらしく一度私が気づかないうちに犬のフンを踏んで帰ってきたらしく私に言うか迷ったらしいですが私が泣いてしまうことを危惧して言わなかったそうです。いや、それは言えよ!!!!!!
とりあえずこの記事がNちゃんに見られないことを祈ります。でも今日彼女にLINEしてみようかな、なんてちょっと思いました。
何にもすがれない人間は何にもすがられることはないよ
学生である私は夏休みに入りました。暇です。とても暇です。正確に言えばしなきゃいけないことはあるんですが(宿題)とてもやる気にもならず一日パソコンのモニターに向かってます。
ここで前回の記事のタイトルを思い出してみましょう。
「サイコーの夏計画立案」
何がサイコーの夏だよ…と数日前の自分の頭をぶっ飛ばしてやりたくなった、死ね。
数日前の私の妄想の中では予定が入りすぎて宿題ができないくらいの夏を想像してたんですがカレンダーを今一度見返してみると真っ白で本当もう…うう…
趣味でもあればこんなに虚しい思いをすることもなかったのだろうけど趣味がなさすぎて困ってます。人生でこれまで趣味というものを見つけたことがなくて強いて言えば野球観戦くらい。でもそれって自分で何かをするわけじゃなくてあくまで受動的なものでしかないから時間を費やしたりすることはあっても何かを生み出したりすることがなくてあまり高尚ではないのかなあなんて思います。(べつに野球観戦が趣味な方を貶してるわけではなくて私の価値観の尺度を語ってるだけですごめんなさい)
そんなこと言ったらそもそも趣味に高尚かどうかなんて意味があるのかというふうにも思えてきてもうどうしたらいいのか…何も趣味のない私に趣味の格付なんてできるわけが…
思えば昔から何にも執着することがなくて無関心なまま生きてきた。2ちゃんにハマってからはさらに歪んでそのくせ自分がなく批判することだけは得意。そんな面を表に出したりはしていなかったけどやっぱりどこからかそんな面が見え隠れしていたのか友達は少ないし所謂カーストでは底辺だった。なんで自殺していないのか不思議だけど本当に暗い小学生時代を送っていた。中学校に入ってからは幾分ましになったけどやっぱり何にも執着することはなかった。でも最近欲が出てきてクラスや友達にも執着するしここを手放したくないと思う。これだけでも大きな進歩なんじゃないかなあなんて思うわけです。
サイコーの夏っていうのは取り消してとりあえず好きなものを見つける夏にします。サイコーの夏よりは現実的だと思いますがどうですかね。
サイコーの夏計画立案
前回がドチャクソ暗い記事だったんで今回は明るい話題にする!つもり!なるといいな!いえい!
もうすぐ夏休みです夏休み。今年は絶対にサイコーの夏にしてやる…って思ってるんですなのかって言われると答えられないんですよね。風鈴の音、何処までも広がる青空、風で捲れる文庫本のページ、溶ける氷の音くらいの断片的な単語しか思い付かない…(発想力がない)
何したらサイコーなんでしょうね、涼みながらの読書とか知的な感じするしは一人で何処か遠いところまで出かけてみるのもサイコーっぽさある気がします。
夏というと思い浮かぶのがなんとなく感じるじんわりした暑さでその暑さがそれぞれ色を少しずつ変えていろんな思い出に張り付いています。でもその中で飛び抜けた思い出というものがなくて、私はじわじわといろんな思い出のなかの暑さに蝕まれています。だから今年は絶対になにか飛び抜けた思い出をつくる。記憶のなかの何重にも重なった暑さよりもたったひとつの水色の夏が欲しいのです。
そのためにも今年は本当に積極的に!超積極的に!いろんなことに!とりくむ!
絶対にサイコーの夏にする!
あ、なんか明るい感じでおわれた
あとスマホの調子が悪い関係で改行とか変な気がします。もしかしたら後で手直しするかもです読みにくかったらすいません
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辛いです。ただひたすらに。
ここ最近全てがうまくいかず。私のつらみを少しでもわかってほしいのです。
私がいくら辛くても周りのみんなが一緒に辛いわけではなくて辛いというのは私のただの我儘です。
私が辛いときに笑っているひとを見ると殺したくて殺したくて堪らなくてああもう本当にどうしたらいいのか。
私が辛いのはみんなが幸せだからです。という自分の気持ちが嫌で嫌でもっと優しいひとになりたい。
優しくなりたくて少し話し方を変えてみても直ぐに元の自分に戻ってしまってこんな意志が弱い自分がこれまた本当に嫌で、かといって自分を嫌いきれないそんな自分が嫌です。
教室の中でみんなが笑顔でいるそのときに私は笑顔を共有できなくてみんなの笑顔に私は押し潰されて溺れてしまいそうです。
いっそ感情が無くなれば、と思うことがあります。感情が無くなれば感情をなくしたことを後悔することもなくてそれは世界を美しく思えなかったり恋に恋することがなかったとしても変えようのないよろこびなのではないでしょうか。
アンドロイドは電気羊の夢を見ないのです。
文章かいてたら辛くなくなってきたよかったぴーすぴーす