樹海から愛をこめて

自省と後悔と自己愛の塊

何にもすがれない人間は何にもすがられることはないよ

学生である私は夏休みに入りました。暇です。とても暇です。正確に言えばしなきゃいけないことはあるんですが(宿題)とてもやる気にもならず一日パソコンのモニターに向かってます。

ここで前回の記事のタイトルを思い出してみましょう。

「サイコーの夏計画立案」

何がサイコーの夏だよ…と数日前の自分の頭をぶっ飛ばしてやりたくなった、死ね。

数日前の私の妄想の中では予定が入りすぎて宿題ができないくらいの夏を想像してたんですがカレンダーを今一度見返してみると真っ白で本当もう…うう…

趣味でもあればこんなに虚しい思いをすることもなかったのだろうけど趣味がなさすぎて困ってます。人生でこれまで趣味というものを見つけたことがなくて強いて言えば野球観戦くらい。でもそれって自分で何かをするわけじゃなくてあくまで受動的なものでしかないから時間を費やしたりすることはあっても何かを生み出したりすることがなくてあまり高尚ではないのかなあなんて思います。(べつに野球観戦が趣味な方を貶してるわけではなくて私の価値観の尺度を語ってるだけですごめんなさい)

そんなこと言ったらそもそも趣味に高尚かどうかなんて意味があるのかというふうにも思えてきてもうどうしたらいいのか…何も趣味のない私に趣味の格付なんてできるわけが…

思えば昔から何にも執着することがなくて無関心なまま生きてきた。2ちゃんにハマってからはさらに歪んでそのくせ自分がなく批判することだけは得意。そんな面を表に出したりはしていなかったけどやっぱりどこからかそんな面が見え隠れしていたのか友達は少ないし所謂カーストでは底辺だった。なんで自殺していないのか不思議だけど本当に暗い小学生時代を送っていた。中学校に入ってからは幾分ましになったけどやっぱり何にも執着することはなかった。でも最近欲が出てきてクラスや友達にも執着するしここを手放したくないと思う。これだけでも大きな進歩なんじゃないかなあなんて思うわけです。

サイコーの夏っていうのは取り消してとりあえず好きなものを見つける夏にします。サイコーの夏よりは現実的だと思いますがどうですかね。